世界は加速し、共鳴する
著者:石川祐


君の笑顔は誰のためのもの?
何故、君は笑っているの?
それがあまりにも儚いから、僕はそれを護りたい。
そう、あの時出逢ってからそう決めた。
今でもその想いは変わらない。

君の目は違うものを見ている。
それでも良かった。
だけど、何故君は悲しく傷ついているの?
君が笑うほどに壊れていくのなら。
君が護るものを、僕は壊したい。


「……?」
違和感を感じて、目が覚めた。
なんだろう、何か変な感じがしたような。
首をゆっくりと巡らせると、人影が見えた。
目を数回しばたたかせて、視界がはっきりしてくると、見慣れた人物だと気付いた。
「あ、やまくん。 起きた?」
読んでいた本から顔を上げ、晶が声をかけてきた。
「……おはよう」
「おはよう。 よく寝てたね」
晶は笑って本を閉じる。
僕は寝ぼけた頭で尋ねる。
「……それ、何の本」
「これ? ティヤール・ド・シャルダンの『現象としての人間』だよ」
晶は軽く本を掲げてみせる。
「ふぅん…おもしろい?」
「うん、面白いよ」
「…大分古そうだけど」
僕の言葉に晶は苦笑する。
「そりゃ中古だしね。 もう少ししたら、薬袋さんも来るよ」
「ふぅん…」
僕は生返事を返して、ぼんやりと天井に目を向ける。
まだ外は明るく、日が長くなったことが分かる。
外からは運動部のものであろう熱心な掛け声が微かに聞こえ、気だるい体に染み込んでいく。
「……」
全てが心地良くて、僕はもう一度目を閉じる。
ふわふわとした眠気が頭の奥に残っていて、僕を意識の底へ誘おうとする。
それに僅かに抵抗すると、意識を軽く引っ張り合う感覚がして気持ち良い。
しあわせ、だ。
「やまくん、僕はいつでも君の味方であり続けるよ」
「え?」
驚いて目を開く。
いきなりどうしたんだ?
晶は先程と同じように丸椅子に腰掛けて、本に目を落としている。
なんだろう、独り言…?
「大袈裟だな…」
とりあえず反応を返すと、晶は僕の方を見た。
「そうかな?」
「そうだよ。 いきなり」
「考えたことはないの?」
「え?」
晶は僕の目を見ている。
いつもと変わらない、笑顔。
優しい、顔。
「…何を?」
「――」
晶が口を開きかけた瞬間に、保健室の戸が開いた。
「お待たせー、晶くん、いる?」
「――…ああ、薬袋さん、ここだよ」
開きかけた口を閉じ、一瞬躊躇ってから、晶はカーテンを開いた。
「あ、ほんとに深山寝てるんだ。 大丈夫?」
「…あ、ああ、うん。 大丈夫だけど…」
心配そうに声をかけてくる水月に気を遣わせないように、僕は上半身を起こす。
それにしても、気になるのは先程の晶の言葉と、態度。
一体晶は何を言おうとしたんだろう?
晶を見ても、いつも通りにしか見えない。
そして。
「…さて、それじゃあ始めようか」
「はいは〜いっ♪」
妙にノリノリの水月が取り出した物を見て、僕は思いきり頬を引きつらせることになった……。


「あ、お兄ちゃんからメールだ」
エレクトリカルパレードのメロディが流れて、海南は携帯を手に取った。
既にこの「池」に来るようになって一週間、丁度5日目。
最初の頃のように、居るだけで緊張感を孕むことはなくなり、独り言も増えた。
「………。 …今日遅くなるんだ…」
携帯を開いてメールを読み、海南は首を傾げた。
「『迎えに行くまで、絶対校舎内に入らないこと』? どうしたんだろう……」
「丁度良かったみたいだね」
海南の横で仰向けになっていた男子生徒が声をかけた。
「あ、はい。 そうみたいです」
携帯を閉じて、海南は彼の横に座り直す。
「お兄さんと仲がいいんだね」
「そうですか? 普通だと思いますけど…」
海南がそう返すと、彼は「よっ」とかけ声をかけて上体を起こしてから言う。
「そうかなぁ、珍しいくらい仲良しだと思うよ」
「……」
海南は、視線を下に落とす。
私たちのは、仲がいい、とか、きっとそういうことじゃなくて。
「どうしたの?」
彼は不思議そうな顔で海南の顔をのぞきこむ。
「……あなたは、どうして私に関わってくるんですか?」
答える代わりに、海南は数日前から抱いていた疑問を口にした。
「そんなに怪しいお兄さんに見えるのかな…」
困った顔で頬を掻く彼に、海南は言い募る。
「だっておかしいじゃないですか、授業がある時間にまで私のところに来たりして…」
「……。 ああ、うん、確かに怪しい」
彼は一瞬考えて、それから真面目な顔で頷いた。
「ええと、でも最初の頃に一回言わなかったっけ? 理由」
「聞きましたけど、でも……」
「納得できないと」
その言葉に海南はこくりと頷く。
んー、と唸って彼はぐしゃぐしゃと頭をかき、以前の台詞を繰り返す。
「繰り返したくないんだよ」
「何を、ですか?」
海南の追求から逃れるように、彼は視線を中空に向けた。
「似てるんだ。 だから、放っておけない」
「……誰と、ですか?」
さっぱり要領を得ない答えばかりで、海南も焦れてきた。
「一体何があったんですか? そりゃ、私なんかに聞かれたくはないかもしれないですけど…でも、私にもそれを聞く権利くらいありますよね?」
「厳しいなぁ」
彼は苦笑して、海南と目を合わせた。
「正論だよ。 勝手に君を誰かと重ね合わせて、自己満足に付き合わせてるのは俺だもんな」
はぁっ、と一度大きく息をつき、彼は話し始めた。
「簡単に言うとね、俺……いや、正確には俺を含めた大勢が、たった一人の体も心も傷付けたんだ」
「……いじめ、ですか?」
海南の問いに彼は頷く。
「そうだね、一言で済ませるなら正にそれだ。 …その中でも俺は最低なことをしたと思うよ」
彼は感情を失ったかのように表情もなく、声音も平坦になっていた。
「俺は、彼を生贄にしたんだよ。 自分がそうされないためにね」
平坦で、吐き捨てるような言い方。
恐らく、彼にとって触れたくない過去なのだろう。
表情のない顔でも、目だけが蔑むような光を持っている。
「他の奴らは、これも最低だけど単純に楽しいからやっていたんだろうね。 他者を貶めることで味わえる優越感を、得ていたんだろうと思うよ。 俺は止めることも、かばうこともしなかった。 それが正しいことではないと、あってはいけないことだと分かっていて、逃げた。 それをして不快感を感じているのにも関わらず」
「……あなたは、」
海南の声が震えた。
「怖かったんですね」
「…………そうだよ」
「――」
彼がそれを認めたとき、海南の目から一筋、涙が零れた。


「深山……もうちょっと歩幅を狭くして歩いて」
「……っ」
「やまくん、そんな顔してたら折角の可愛い顔が台無しだよ」
「………あきら」
「あぁ、喋っちゃダメ! 声出したらばれちゃうでしょ?」
こめかみをひくつかせつつ、満面の笑みと小声でたしなめてくる水月に座った視線を返す。
放課後の廊下。
水月と晶、そして……僕。
長い髪が顔や首にかかってうざったい、そして重い。
足元がスースーする上に、スカートの布地が変にまとわりついて歩きにくいことこの上ない。
とりあえず、一言。
みなさまお察しの通り女装だよ!!
ああ、僕は誰に向かってこんなことを言ってるんだ?
そろそろ頭が沸いてきたか?
かつらが重いせいか、それとも精神的にキているのか、頭がくらくらする。
恐らく前者も後者も正解だろう。

「やまくん、ばれずに潜入するには変装が一番なんだよ」
「だからって何で女装なんだよ!?」
「もちろん僕が楽しいからだよ? 薬袋さんよろしく」
「はいは〜いっ♪」
少し前の保健室。
僕は水月の制服を着せられ、化粧を施され、黒い髪のかつらを被せられていた。
スカートは、水月が短くしようとしたのを泣きを入れて膝丈にしてもらった。
…どうも水月は靴下とスカートの間で肌を出すつもりだったらしい。
「ニーソなら絶対太もも見せた方が可愛いのにぃ」
「マジで勘弁してください……つーか男の太ももなんて誰も見たくないだろう……」
「大丈夫、やまくんならいけるよ?」
「何の話だ!?」

というようなやり取りを経て今この状態になっているわけだが。
「いやぁ〜、深山がこんなに可愛くなるなんて思ってなかったわ」
「薬袋さんグッジョブ」
晶が親指を立てると、水月も満面の笑みでそれを返す。
……ノリノリだ。
「っと、ここここ」
一つの教室の前で、水月が立ち止まる。
そう、ここが今日の目的の場所。
「深山、私と晶くんがうまーく誘導するから、頷くだけにしてね」
水月の言葉に頷いて、ドアを開けて入っていく水月に続く。
「あ、薬袋さんに霊界堂さん……と、その人は?」
見知らぬ女生徒が水月に声をかけてくる。
水月は軽く首を傾げる。
「あれ? 会長から聞いてない? 今日は生徒会が活動調査に来るって言ってたから連れてきたんだけど」
「ああ! そういえば言われてました。 すみません、どうぞ〜」
僕が彼女に会釈を返すと、晶が僕に席を勧める。
「ちょっと狭いところですけど、奥の方へどうぞ」
僕は頷いて晶の誘導に従う。
一番目立たない場所に座らせてもらい、室内をざっと見渡す。
そして、目当ての人物に目を留める。
ゆるくウェーブのかかった柔らかそうな髪、穏やかな笑顔で会話をしている少女。
海南に手紙を宛てた人物、大海原心雷(わだのはらみらい)に。


誰も人の寄り付かない池のほとりに、小さく嗚咽が聞こえる。
海南は隣にいる人物にもかまわず泣き続けていた。
彼はただ海南の隣に座ってぼんやりと中空を見ていたが、軽く首を振ってから、海南に視線を向けた。
「ごめんね…泣かせちゃって」
「違います!!」
海南は大きく首を振った。
「違う……わたし、も、あなたに…違う人を重ねてる……そんな……」
頭が熱い。
「そん、なの、罪にすれば軽すぎる……わたしなんて、もっと、もっと」
フラッシュバックする。
「責め、られてとうぜ、んの人間で……」
溢れる。
「君は―」
彼が何か言おうとしたその時、けたたましい電子音が鳴った。
彼は逡巡したが、スラックスのポケットから携帯を取り出す。
海南に気遣わしげな視線を向けつつも、携帯を耳に当てる。
「黎明?どうした?」
嗚咽は止まらないが、邪魔をしてはいけないと思い、顔を池に向ける。
むしろ海南は、話が中断したことに安堵感さえ覚えた。
電話の向こうでは相手がかなり大きな声で話しているようで、微かに雑音が届く。
「……本当に?やっぱり人違いじゃなかったんだな?」
彼の声のトーンが落ちていく。
「ああ……うん、言わないと……遅くたって、言わないと。 聞いてもらえなくても、言わないと」
苦しそうに繰り返す彼の言葉。
今までのイメージとは全く違う。
海南が思わず振り返ったとき、彼はこう口にした。
「山南くんに……深山くんに会わないと」



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